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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)3076号 判決 1983年2月24日

控訴人

大澤登美江

大澤昌喜

右控訴人ら訴訟代理人

西村孝一

永井均

水野正晴

被控訴人

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

東松文雄

外五名

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴人らの当審における新たな各請求を棄却する。

三  控訴費用(当審における新たな各請求についての費用を含む。)は控訴人らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判<省略>

第二  主張

当事者双方の主張は、次に付加するほかは、原判決事実欄の「第二当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴人ら

従前からの請求を主位的請求とし、当審で新たに予備的に国家賠償法一条一項及び二条一項による各損害賠償を選択的に請求する。

1  (安全配慮義務違反による損害賠償債務の消滅時効について)

安全配慮義務違反による損害賠償債務の消滅時効は、その損害が客観的に現実化した時から進行を開始し、一〇年間の経過によつて完成すると解すべきである。したがつて、本件損害賠償債務の消滅時効は亡大澤の死亡日である昭和四〇年九月四日からその進行を開始し、一〇年間を経過した昭和五〇年九月四日に完成すべきものである。これを詳説すれば、以下のとおりである。

(一) 安全配慮義務の懈怠があつた場合に、国が公務員に対して負担する損害賠償債務の法的性質は、前者が後者に転化したものであり、その意味においては、両債務の間に同一性があるといいうる。しかし、後者は前者の違反を契機として新たに発生するものであり、その内容は前者の違反行為の程度・態様によつて多様に変化し、実際の違反をまたないで事前にその内容を規定することは全く不可能である。したがつて、安全配慮義務とその不履行によつて発生する損害賠償債務との間には民法一六六条の適用上、前者の権利行使をなしうるときをもつて、後者の消滅時効の起算点となしうるというような同一性はない。

(二) 国が公務員に対して負担する安全配慮義務は、具体的には雇用期間中の個々の特定の職務遂行についてその職務遂行に伴う危険性に応じて不断に継続して発生し、その職務遂行と同時に消滅しているのである。この具体的な安全配慮義務は、それが付随している特定の職務の終了後は性質上独立して存在しえないものであるから、その消滅時効ということもありえない。それゆえ、具体的安全配慮義務の不履行に基づく損害賠償債務の消滅時効の起算点は、これを独立した債務としてとらえ、その性質に即して別個に認定すべきものである。

(三) 具体的安全配慮義務は、公務員たる地位にある期間中常に請求しうるというものではない。具体的な安全配慮義務は特定の職務の遂行の際に、安全配慮義務違反が生じた時点でその職務の性質に応じて発生するものである。しかも、右具体的安全配慮義務は、特定の職務の遂行に付随して発生するのであるから、これが不完全に履行されつつ当該職務の遂行が経過してしまえば、事後、その本来の履行を請求するということはありえない。すなわち、本来の安全配慮債務(義務)とは、その性質上、履行を請求しうる時期が全く存在しなかつた債務である。本来の安全配慮債務とその不履行により発生する損害賠償債務とは、本来の債務が履行を請求しうる状態で存続し、その後、不履行となつて損害賠償債務に転化するという関係にあるのではなく、本来の安全配慮債務はそれが成立し履行を請求しうる時期に同時に不完全に履行され、損害賠償債務に転化しているという特殊な関係に立つものである。それゆえ、後者の消滅時効の起算点について、前者の履行を請求しうる時期を基準にすることは、実体的な根拠がない。

(四) 安全配慮義務違反によつて発生した損害賠償債務は、不法行為による損害賠償債務と同じく、一定の加害行為があつてもこれによる損害が現実に発生するまでは、その債務の内容を特定することができず、場合によつては債務の成立すら認識することができないのである。本件についてみるに、X線被曝は他の物理的侵害行為とは異なり、その性質上、侵害の程度や影響を被曝時点では全く認識できず、後にこれによる身体異常の発現及びその態様の推移をみて初めてその損害の存在が明らかとなるのであり、右X線被曝による損害賠償請求権については、損害の発生をまたなければ、損害賠償請求権の成立自体を認識しえないのである。亡大澤が慢性骨髄性白血病急性転化によつて死亡する以前に、死の結果をも含めた損害賠償債務の請求をすることは、事実上も法律上も不可能であつた。それゆえ、安全配慮義務違反による損害賠償債務の消滅時効については、損害が客観的に現実化した時から進行を開始するものと解すべきである。

2  (国家賠償法による損害賠償請求)

(一) 亡大澤の上司は、本件X線取扱業務を行うに際し亡大澤をして介助者又は助手としてこれに従事させたが、右業務を行うにあたつては相当のX線防護設備、器具を設置し、また同人にX線障害と思われる症状が生じたときには、同人の被曝線量を測定し、さらにこれによつて同人がX線障害を受けたものと認められたときには、同人の担当職務を変更し十分な治療を行い、もつて同人の生命及び健康をX線被曝の危険から保護すべき当然の注意義務があるにもかかわらず、十分なX線防護設備を設置しないまま亡大澤をしてX線取扱業務に従事させ、その間昭和二六年、同三〇年六月、同三一年一一月、同三二年一〇月いずれも自衛隊内における医師の診断で、亡大澤にX線障害に起因する白血球減少症等の身体失調が生じていることが判明しているにもかかわらず、同人の担当職務を変更せず、十分な治療を行うこともないままこれを放置したため、同人は人体許容量をはるかに上回る多量のX線を被曝し、これに起因する慢性骨髄性白血病急性転化のため死亡するに至つたのである。したがつて、被控訴人は国家賠償法一条一項に基づく賠償責任がある。

(二) 被控訴人の設置したX線取扱設備(営造物)の管理に前記のような瑕疵があつたところ、亡大澤の死亡はこれに起因するものである。したがつて、被控訴人は国家賠償法二条一項に基づく賠償責任がある。

(三) 右公務員の不法行為及び営造物の管理の瑕疵により生じた損害の内容は、本件安全配慮義務違背によつて生じた損害の内容と同じである。

3  (国家賠償法による損害賠償債務の消滅時効について)

(一) 被控訴人の当審における主張事実(二の3)は否認する。

(二) 控訴人らは本訴提起直前まで、亡大澤のX線被曝が、X線撮影業務にかかる公務員の過失又はX線撮影装置の設置管理の瑕疵に基づくものであること、すなわち、亡大澤が右業務に従事していた際の上司公務員の氏名、隊内での地位、職務権限、同業務の具体的遂行状況、X線撮影装置の種類、構造、性能、X線撮影業務につきとられていた防護設備の構造、使用状況、安全管理体制の状況、X線撮影の頻度等に関する具体的事実関係につき全く知るところがなく、又知りえなかつた。したがつて、控訴人らの国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、本訴提起前にあつては進行していなかつたというべきである。

(三) 控訴人らは昭和五〇年八月一日本訴えを提起したから、本件損害賠償請求権の消滅時効はこれにより中断した。

(四) 控訴人らは本件訴え提起において、被控訴人主張のとおり本件事案につき、国家賠償法一条一項に基づく請求をし、次いで昭和五二年一二月九日同法二条一項に基づく請求を追加したが、昭和五三年四月二八日右請求にかかる訴えを取下げたこと、控訴人らは当審昭和五五年四月一五日第一回口頭弁論期日に改めて、右国家賠償法一条一項、二条一項に基づく請求を追加したことは認める。

控訴人らが一旦右訴えを取下げたのは、本件訴訟手続の整理のため同一内容の給付を求めていた債務不履行に基づく請求に主張を一元的に絞つたことによるものであり、もともと本件における損害賠償請求権の発生原因が債務不履行であるか不法行為であるかは、単に請求権の存在を基礎づける法的観点を相違するにすぎず、その要件事実は実質的に異ならないから、債務不履行の請求が維持されている限り、不法行為に基づく請求も中断されるため、後者の訴えの取下にもかかわらず、右訴え提起による時効中断の効力は消滅することがない。

二  被控訴人

1  控訴人らの当審における主張(一の1)は争う。その主張に対する反論は次のとおりである。

(一) 控訴人らの主張は、安全配慮義務に固有の問題ではなく、債務の不完全履行一般についていえることであつて、所論は理由がない。

(二) 控訴人らの主張する安全配慮義務違反による損害賠償請求権は、通常の債務不履行(不完全履行)の場合と全く同一の性質を有するため、その消滅時効の起算点を本来の債務から独立した債務としてとらえることはできない。

(三) 本来の安全配慮義務の履行は、その職務遂行中常に請求しうるのであり、控訴人らの主張は独自の見解に基づくものである。

(四) 消滅時効は、事実上の障害によつてその進行を妨げられないのであり、債権者が権利の行使をしうる時期となつたことを知らなくても進行する。

2  控訴人らの当審における新たな主張(一の2)は争う。

3  (国家賠償法に基づく損害賠償請求権の時効消滅)

(一)(1) 仮に被控訴人に国家賠償法に基づく賠償責任が認められたとしても、控訴人登美江は昭和四一年七月一七日既に亡大澤が骨髄性白血病のため死亡したこと及びその原因が自衛隊勤務中の上司の命令によりX線業務に従事した際に大量のX線の照射を受けたことによるものであることを認識していたものである(乙第一七号証参照)。侵害行為を知れば、それが不可抗力によるなど特段の事由の存在の認識を有していない限り、侵害行為が違法なものであるとの認識を有していると解するのが相当であるから、控訴人登美江は右事実を認識した以上、たとえ亡大澤の従事した職務の具体的内容及び同人の取扱つたX線装置の構造等を知らなかつたとしても、容易に上司たる公務員の注意義務違反ないしX線装置の設置管理の瑕疵を認識していたことが推認され、民法七二四条前段の「損害及ヒ加害ヲ知」つたものというべきである。したがつて、控訴人登美江の国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求権は昭和四四年七月一七日の経過により時効消滅した。

(2) 仮に右主張が認められないとしても、控訴人登美江は、昭和五〇年八月一日本件訴訟を提起したが、この時点において、損害及び加害者を知つていたものというべきであり、したがつて控訴人登美江の右損害賠償請求権は昭和五三年八月一日の経過により時効消滅したものである。

(3) 控訴人昌喜は当時未成年であつたが、その法定代理人であつた控訴人登美江が前記のように損害及び加害者を知つたのであるから、控訴人昌喜の国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求権も昭和四四年七月一七日又は同五三年八月一日の経過により時効消滅した。

(4) 被控訴人は本訴において右消滅時効を援用する。

(二) 仮に右の主張が認められないとしても、被控訴人の公務員の不法行為及び公の営造物の設置管理の瑕疵の存在は亡大澤が自衛隊を退職した昭和三三年三月一七日以前のことに属する。したがつて、控訴人らの国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求権は民法七二四条後段により右退職の日から二〇年を経過した昭和五三年三月一七日の経過により消滅した。

(三) 控訴人らは、本件訴え提起において、本件事案につき国家賠償法一条一項に基づく請求をし、次いで昭和五二年一二月九日同法二条一項に基づく請求を追加したが、控訴人らは昭和五三年四月二八日これらの請求にかかる訴えを取下げたから、右請求にかかる訴えは民訴法二三七条により初めから係属しなかつたものとみなされ、時効期間の進行には何らの影響を与えることはない。

第三  証拠<省略>

理由

第一当裁判所は、控訴人らの本訴各請求はいずれも失当であると判断するが、その理由は、次に付加・訂正するほかは、原判決理由欄の記載(原判決一一丁裏末行目冒頭から一四丁裏三行目の末尾まで。)と同一であるから、これを引用する。

1  原判決一三丁裏八行目の「と解すべきである。」の後に、行を代えて、次のとおり付加する。

「また、具体的安全配慮義務は公務員が国若しくは上司の指示のもとに具体的公務の遂行に際し発生し公務員はその履行を請求しうるものであり、右具体的安全配慮義務は性質上それが履行されるときはそれにより消滅し、損害賠償債務は発生しないが、右具体的安全配慮義務が履行されなかつたときは、債務不履行による損害賠償債務が転化発生し、以後これを請求しうることとなるものである。したがつて、右具体的安全配慮義務不履行に基づく損害賠償債務は具体的公務の遂行が終了し、右具体的安全配慮義務が右損害賠償債務に転化したときから一〇年間を経過すれば、消滅時効により消滅するものといわなければならない。右本来の債務者及び債務の内容は契約関係上明らかなのであるから、もともとこれが存しない場合の規定たる民法七二四条を類推適用すべき余地はなく、また、控訴人ら主張のとおり右損害賠償債務につき損害が客観的に現実化しこれを知つた時から消滅時効が進行を開始し一〇年間の経過をもつて時効消滅すると解することは、不法行為による損害賠償請求権との均衡を失するばかりでなく、時効制度の趣旨にもそわないので、これを採用することができない。」

2  同一四丁表末行目の後に、行を代えて、次のとおり付加する。

「控訴人らは、被控訴人の安全配慮義務不履行により控訴人らにつき固有の慰藉料請求権を取得した旨主張するのであるが、債務不履行の効果として債権者以外の第三者が直接損害賠償債権を取得するいわれはないから、控訴人らのこの点に関する主張は採用することはできない。」

3  同一四丁裏一行目の「本訴請求」を「従来からの本訴各請求」と訂正する。

4  同一四丁裏三行目末尾の後に、行を代えて、次のとおり付加する。

「二 控訴人らは、当審において新たに予備的請求として、国家賠償法一条一項及び二条一項に基づく損害賠償を請求するところ、被控訴人は、仮に控訴人ら主張の損害賠償請求権が成立したとしても、右請求権は控訴人らがその損害及び加害者を知つた時である昭和四一年七月一七日から三年間を経過した昭和四四年七月一七日をもつて消滅時効により消滅した旨抗争するので、以下この点につき審案する。

(1)  国家賠償法一条一項及び二条一項に基づく損害賠償請求権の消滅時効は被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知つた時から進行し、三年間の経過をもつて完成するものというべきところ、右損害及び加害者を知るとは、被害者において賠償義務者に対し公務員の不法行為又は公の営造物の設置管理の瑕疵による損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度に認識していることを要するものと解される。

<証拠>によれば、控訴人登美江は昭和四一年七月一七日防衛庁長官宛に書簡を送つたが、その中において、亡大澤は昭和四〇年九月四日骨髄性白血病のため死亡したこと、右病因は亡大澤が陸上自衛隊在職中に従事したX線撮影業務に携わり多量のX線照射を受けたことであると信じている旨記載し、右記載の事実を知つていたものであることが認められる。ところで、公務員による不法行為又は公の営造物の設置管理の瑕疵による被害者が侵害行為を知れば、特段の事情のない限り、侵害行為の違法性及びこれに基づく損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度に認識していたものと解すべきところ、右特段の事情の主張・立証のない本件では、控訴人登美江において、たとえ亡大澤の従事した職務上の上司の氏名、職務の内容及び同人の扱つたX線装置の構造などに関する具体的事実を知らなかつたとしても、同控訴人は昭和四一年七月一七日当時すでに被控訴人に対し、公務員たる亡大澤の上司のX線撮影業務遂行における不法行為又は公の営造物の設置管理の瑕疵による損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度に認識していたものと認めるのが相当である。

(2)  弁論の全趣旨(本訴状及び原審提出の控訴人らの委任状の各記載参照)によれば、控訴人昌喜は本訴提起当時未成年であつて、控訴人登美江がその法定代理人・親権者であつたことが認められるところ、被控訴人登美江において、前示のとおり本件不法行為及び営造物の設置管理に関する瑕疵による損害賠償請求権の行使が事実上可能な程度に認識していたとみられる以上、控訴人昌喜についてもこれと同様に認めるべきである。

(3)  控訴人らが本件訴えの提起において本件事案につき、国家賠償法一条一項に基づく請求をし、次いで昭和五二年一二月九日同法二条一項に基づく請求を追加したが、昭和五三年四月二八日これらの請求にかかる訴えを取下げたことは当事者間に争いがないところ、控訴人らは右のように訴えを取下げたのは、本件訴訟手続の整理のため同一内容の給付を求めていた債務不履行に基づく請求に主張を一元的に絞つたことによるものであり、もともと本件における損害賠償請求権の発生原因が債務不履行であるか不法行為等であるかは、単に請求権の存在を基礎づける法的観点を相違するにすぎず、その要件事実は実質的に異ならないから、債務不履行の請求が維持されている限り、不法行為等に基づく請求も中断されるので、後者の取下にもかかわらず、当初の訴え提起による時効中断の効力は消滅しないと主張する。しかしながら、控訴人らにおいて、前記のとおり国家賠償法一条一項及び二条一項に基づく訴えをいつたん提起しておきながら、後にこれを取下げたときは、当該請求にかかる訴えは当初から係属しなかつたものとみなされ、控訴人らの右主張にかかるような事情があつたからといつて、その効果に影響を及ぼすことはない。したがつて、控訴人らの右訴えの取下げによつて時効中断の効果は訴え提起の当初に遡つて消滅したものというべきである。控訴人らの右主張は独自の見解であり、採用の限りでない。

(4)  上記(1)及び(2)の事実によれば、控訴人らの本件国家賠償法一条一項、二条一項に基づく損害賠償請求権については昭和四一年七月一七日から三年間を経過した昭和四四年七月一七日をもつて消滅時効が完成したというべきであり、被控訴人が右時効を当審第六回口頭弁論期日の昭和五六年四月二一日に援用したことは当裁判所に顕著な事実である。してみれば、控訴人の当審における新たな予備的請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当といわなければならない。」

第二<以下、省略>

(岡垣學 磯部喬 大塚一郎)

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